世界一周ローカル旅

カンボジアの暗黒時代

LINEで送る
Pocket

カンボジア暗黒時代
 

 

さて、歴史のお時間です。カンボジア編では特に、歴史に触れずに終わるわけにはいきません。

 

是非知ってもらいたいのでさらっと、大事な部分だけかいつまんで説明していきますね。

 

Killing Field(キリングフィールド)の写真は最後にまとめて載せます。

 

 

■世界一周ブログランキング参戦中■
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村
↑↑上のバナーをクリックするとランキングが上がります!↑↑
↑↑このブログは現在何位!?↑↑

 

史上最悪の国家元首ポルポト誕生

 

これは、1970年代のカンボジアの話。

 

当時、隣国ベトナムでは南北戦争真っ只中でした。南ベトナムに手を貸していたアメリカ。これらの余波を受け、カンボジアに史上最悪の国家元首兼大統領ポルポトが誕生してしまいました。

 

ポルポト率いる、カンボジア共産党(クメールルージュ)の思想は原始共産主義というものでした。

 

共産主義というのはよく耳にしますよね?
土地や財産等を個人的に所有せず、貧富の差を無くし、みんな平等に生きていこう、という考え方です。

 

では原始とは何か?
原始といえば原始時代。人間が知恵を持ち始め、みんなで協力してマンモスを倒していた様な時代。金銭など無くただ狩猟採集をする、自給自足の生活。貧富の差や階級がまだ無かった時代です。

 

ポルポトは、ちょうど大阪で万国博覧会が開催されていたあの時代に、原始時代こそが理想の社会であると考え、再現しようとしたのです。

 

人類の進歩と調和などどこ吹く風でした...。

 

 

 

まずは都市部に暮らす人々を強制的に農村部へ移住させます。

 

強制的に農作業をさせて、国内だけで自給自足を成り立たせる為に。

 

1975417日にはプノンペンに侵攻し、わずか3日で陥落させられ、街はすっからかんになったと言います。

 

 

 

そして次にポルポトがとった政策がこれ。

 

国民達にこう言います。

 

「以前教師、医師、技術者、学生だった者はいるか?いたら名乗り出て欲しい。新しい時代を創るにはみんなの協力が必要なんだ。」と。

 

国民達は、ポルポトが原始共産主義で、これから何をやろうとしているのか知りません。

 

農作業が苦痛だった彼らは、その他の人々から拍手で見送られポルポトの招集に応じました。

 

しかしこの言葉は真っ赤な嘘でした。

 

本当の狙いは、

 

知識人を全員排除

 

原始時代に知識人などいない。

 

知識人こそが貧富の差を作るんだ!!!

 

こうして連れてこられた知識人達は、何も告げられず、

 

 

次々と殺されていきました。

 

 

殺されたのは何も本当の知識人だけではありませんでした。

 

眼鏡をかけている。
知識人っぽいから

 

手の柔らかい人。
農作業に従事していなかったから

 

読書をしている。
文字が読めるなんて知識人

 

外国に行ったことがある
知識人っぽい

 

ラジオを聴いていた

 

恋人がいる...

 

など、とりあえず、次々と国民達は殺されていきます。

 

もちろんポルポトに反対する者も。

 

 

「罪の無い人を誤って殺すのは、敵を誤って殺しそこねるよりマシである。」by ポルポト

 

 

 

 

 

カンボジア暗黒時代

 

知識人達は、強制収容所へ送り込まれます。

 

そこでも過酷な労働を強いられ、やがて殺されます。

 

炎天下の中、食べ物も与えられず、休憩も無く早朝から晩まで働かされたので、過労死する人もいました。

 

クメールルージュが彼らを殺す時、銃は玉が高価なので使いませんでした。

 

木の棒や金属製の棒、ナタや斧など、その辺にあったもので殴り殺していきました。

 

彼らの断末魔の叫びが周囲に漏れないように、音楽を爆音でかけていました。

 

殺された人の家族も殺されました。

 

将来の復讐を恐れた為です。

 

「雑草を取り除くなら、根こそぎ。」

 

クメールルージュのスローガンでした。

 

 

 

 

 

 

最終的に殺された人の数は、200万〜300万人と言われていて、それは当時のカンボジア国民の1/3に相当します。

 

 

狂気の沙汰でした。

 

そんなポルポトは、フランスや中国に留学経験のある立派な知識人。

 

原始共産主義はもともと、中国の毛沢東から学んだ文化大革命をモデルとし、さらに過激にしたものでした。

 

 

 

当時ポルポトは国名まで変えてしまいました。

 

カンボジアは『民主カンプチア』となって外国との国交を断ち、鎖国します。

 

周囲の国境には地雷を仕掛けます。

 

中には亡命に成功した人もいたようですが、彼らの証言があまりにも突拍子もないような内容だったので、国際社会は誰も信じなかったそうです。

 

しかし、1979年ベトナム軍により攻め落とされた後、彼らの証言よりも更に残酷なことが明らかとなっていくのでした...。

 

 

 

 

 

Killing Fieldを訪れて…

 

こんな暗い過去が、カンボジアにはあります。しかも今からたったの40年ほど前の話。

 

こうした強制収容所はキリングフィールドと呼ばれ、全国で300ヶ所以上あったと言われています。

 


Killing Field

 

殺すための場所。

 

 

 

 

その内の80ヶ所には慰霊塔が建てられました。

 

プノンペンの近くに、チュンエク大虐殺センターと言う、最も大きな慰霊塔が建てられているキリングフィールドがあります。

 

先日、僕はそこへ行ってきて、色んなものを見てきました。

 

と言っても、ポルポトから開放されてすぐ、怒り狂ったカンボジア国民が全て壊してしまったそうで、当時の建物なんかは何も残っていません。

 

残っていたのは彼らの骨だけでした。

 

未だに地面に埋まっているのが見えます。

 

最初にこの場所を発見した人は、農作業をしようと訪れ、血や脳みそでグチャグチャになった木を見て不思議に思い、周囲を掘り返してみると無数の人骨が出てきたそうです。

 

 

慰霊塔の中には、綺麗に修復された頭蓋骨が、並べられていて、カラー別のシールで、何で殴られて殺されたか分かるようになっていました。

 

写真、どうしよ...。

 

一応ちょっとだけ載せときますね。苦手な方はさらっと飛ばして下さい。

20150401_144053

20150401_125424

20150401_132802

20150401_134721

20150401_141128

20150401_135941

20150401_134004

20150401_134520

20150401_143333

20150401_143410

20150401_143659

20150401_143736
 
 

まとまりのない文章でしたが最後まで読んでいただきありがとうございました。チュンエク大虐殺センターでは、入場料$6に日本語版の解説オーディオプレーヤーの貸し出しも含まれていますので、ガイド無しでも全てばっちり理解出来ます。僕はプレーヤーの解説を全部聞いて、たまにメモしたり写真撮ったりもしながら回ったので、3時間近くかかってしまいました。

 
●カンボジアでの他の出来事はこちらから●

 

■世界一周ブログランキング参戦中■
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村
↑↑上のバナーをクリックするとランキングが上がります!↑↑
↑↑このブログは現在何位!?↑↑

 
スポンサーリンク
海外ホテル検索
「スーツケース買うのはちょっと…」という方はこちら
シリーズ510万部突破!旅の指さし会話帳
スカイスキャナーで航空券比較検索

 

LINEで送る
Pocket

Tagged on: , ,

2 thoughts on “カンボジアの暗黒時代

  1. KM

    罪の無い人を誤って殺すのは、敵を誤って殺しそこねるよりマシである。
    私もこの言葉はメモしました。。。
    気温36度の中、鳥肌がたちました。
    まだカンボジアですか?
    ブログの更新楽しみにしています。

    1. 横山笑来 Post author

      KMさん
      いつもありがとうございます。
      確かに!!僕も現地にいたの昼過ぎだったんですけど、音声に集中し過ぎて暑さとか忘れてましたね(笑)帰ったら汗だくでした。
      ある程度下調べはしていたのですが、この言葉はオーディオプレーヤーを聞いて初めて知りました。
      彼らに殺された人々の遺骨を前にして聞いていたものですから、余計に怒りが込み上げ、少しでも多くの人に知って頂ければと思いブログに書きました。

      現在はもうカンボジアにはいません。ビザ残して出ちゃいましたー!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です